『絶対に○○したらダメですよ!』と言われたら、逆にしたくなるのが人間の心理というもの。
(法に抵触する行為は別として)

例えば「絶対に覗いたらダメですよ」って言ったはずなのに…とか。



こんばんは。

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あの時、助けていただいた鶴です。



もはや、じゃじゃうマンの影武者でもなくなりました。

ここ最近のブログを振り返って見ると、サッカー指導者のブログとはとても思えませんね。
これには理由があって…、実は…。


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バイキンマンから全ての真相を聞いたアンパンマンは、黒幕『ジャムおじさん』との最終決戦に向かうのだった。


早く助けに来て~!アンパンマ~ン!!







さて、学校の校則ってあるじゃないですか。
その中に染髪禁止の規則があると思うのですが、あれって何でダメなんですかね?
自分の中では未だに理由が見つかりません。



数年前のある日、ジュニアユースの選手が「すね毛」を脱色してきました。
マリリン・モンローもビックリの黄金の輝きでした。

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僕はオードリーヘップバーン派なんですけどね。
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あっ、全然関係ないですね。


本人曰く、『すね毛などの体毛が濃いことがずっとコンプレックスで、肌の露出が増える季節に少しでも目立たないようにしたかった…。』とのことでした。

完全なる金のすね毛でした。


「それは学校で先生に問われないのか?」と尋ねると、問題ないとのことでした。

校則の文言にも寄るのかもしれませんが、「染髪」という表記であれば「髪」ですから、たしかにすね毛とは違います。

でももしこれが「眉毛」だったら、先生の対応はどうだったのでしょうかね?
髪の毛でなければセーフなのでしょうか?


そもそも高校生までダメで、大学生はOKな理由って何なのでしょうかね?

もし明確な理由があると仮定した場合、その理由をどれだけの先生達が答えられるのでしょうかね?


決して反発とかではなく、純粋な疑問や想いです。

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ワンコイン?


「日本人はルールを守る民族」だと世界では評価されることがあります。
しかし言い方を変えれば、そのルールの正当性や必要性を問うこともなく、「ルールは守るもの!」と幼少期から躾されることで、それ自体に疑いを持つ習慣さえ失う原因にもなっていると考えられなくもありません。

例えば染髪禁止という校則。
仮に学生がその必要性を疑い意見したところで、校則が簡単に変わることはありません。
しかしそれを主張するための表現方法として染髪して学校へ行く。
他に良い主張方法があるなら教えてくれよ!というのが学生の想い。

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どうしろというのか…

結果その学生は、「社会不適合者」のレッテルを貼られることになる。
通知表などの成績にも何かしらの影響があるかもしれません。


ルールを守ることは大事なことだと思います。
しかしそれを守らせる側が、それに対して根拠ある説明ができるかどうか。

納得できるできないはその先の話にあり、考え方が十人十色の中で全ての人を納得させることは難しいと思います。
でも説明ができるのとできないのとでは大きく違うと思います。



高校を卒業した瞬間に染髪する日本の学生の心理を滑稽に見られることがありますが、その校則自体が存在しなければまた違った現象が起きると思うんですよね。

『みんなが明るい色にしてるから、じゃあ俺は黒にしよ!』とか。

何色だって好きにしたらいいやん!って個人的には思ってしまいます。


ただ社会人になった時には、勤め先の「企業イメージ」ってものに縛られることになるので、その時にその必要性を感じることができれば良いのではないかと思います。

ヘアカラーのブラウン商品推しの営業であれば、逆に黒髪ではなくその商品を使用したヘアで営業したほうが宣伝効果が高い場合もありますし、勤め先によって様々だと思います。



今回は例としてたまたま「染髪」について挙げました。
しかし他にも疑うべきルールってあるかもしれません。

それは学校の校則だけの話ではなく、もしかしたら『メジェール岐阜瑞穂F.C.』というサッカークラブにもあるかもしれません。

日常化することでその真理を追究することは希薄になりがちです。

「疑う」という言葉はあまり良いイメージがないかもしれませんが、物事を良い方向へ進めるためには、時にはそれも大事なことだと思っています。

疑うことが的確な判断につながることもあるのではないでしょうか?

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ほんとに?





今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。